ウィキペディアで「声帯」をサーチしてみると(http://ja.wikipedia.org/wiki/声帯)、右上部に声帯の解剖図が出ていて、その下に「呼吸時と声を発しているときの声帯」という図が載っている。
ネットでいろいろ声帯の画像を検索しても、だいたい似たような図が出てくる。だから僕も、声帯はたぶんそんなふうに見えるんだろうと想像していた。
ところが、だ。
ファイバースコープで声帯を観察したあるビデオ画像を見て、驚いてしまった。(大阪医科大学の耳鼻咽喉科学教室ホームページに掲載されているもの。9秒目から12秒目ぐらいが重要なポイントだ。)
一部をキャプチャしたので、特に発声時の画像を上と見比べてほしい。(比較のため、キャプチャ画像は上下反転してある)
呼吸時(左)のほうはだいたい上の図と同じだが、大きく違うのは発声時(右)だ。ビデオのキャプチャ画像では、下唇みたいに見える部分が上にせり上がって、声帯の本体をほとんど覆い隠してしまっているのがわかる。(ビデオでも同じ様子が見てとれる。ただしビデオは上下が逆になっているので注意。写真はいずれも上が首の前方になるよう180度回転してある。)
ただ単に呼吸しているときは、この「下唇」はウィキペディアの図と同じ位置にある。ところが発声しているときは、「下唇」がでしゃばってきて声帯を覆い隠すのだ。
なぜこれが僕の興味をひいたかというと、日本人に多い「のど声」はおそらくこうして生まれるのではないか、とひらめいたからだ。(ちなみにこのビデオの被験者はたぶん日本人女性。)
無理なく発声している場合は、声帯はウィキペディアの図のように2本の弦がぴったりと閉じ、弦の上から下まではっきり見える。(スウェーデン人?の上手な歌手4人[ソプラノ/アルト/テノール/バス]が4声の合唱曲を歌いながら、ファイバースコープでリアルタイム観察したそれぞれの声帯を並べて見せているYouTubeビデオがあるが、どの歌手の声帯を見ても、ほぼ全体がしっかり見える状態のまま歌っている。ちなみにこのビデオでは上下が最初に示した写真と逆になっているので注意。)
ところが日本的なのど声で発声すると、「下唇」部分が声帯の弦に覆いかぶさるように張り出してきて、声の出口を塞ぐ格好になる。少なくとも、最初のビデオはそうした現象をはっきりとらえている。ちなみにこの「下唇」部分は、「披裂喉頭蓋(ひれつこうとうがい)ひだ」と呼ばれている。
以下のサイトにも同様の図や写真がある(ふかさわ耳鼻咽喉科医院HP)。このサイトにある発声時(上から3番目)の写真を見ると、やはり「披裂喉頭蓋ひだ」がぐっとせり上がって、声帯をほとんど覆い隠してしまっているのがわかる。ウィキペディア等の図とは大違いだ。本来は声帯を塞ぐものがあってはならないはずなのに、どうも日本人が発声する際には、この「披裂喉頭蓋ひだ」が出張ってきて声帯を覆うのがデフォルトになっているようだ。
しゃべるときにこうして「披裂喉頭蓋ひだ」を使って気道を狭めてしまうことが、日本人の「のど声」の大きな原因ではないだろうか。日本語の発音と連動してのどが締まってしまうこの現象こそ、僕の用語でいう「カナ縛り」なのだ。
最初に挙げたビデオをよく見てみると、「披裂喉頭蓋ひだ」が出っ張ってくるときの動きが面白い。「披裂喉頭蓋ひだ」(ビデオでは写真と逆に上唇の位置にある)は、あたかも左右の腕を上げて頭上でアーチ型に手を組んだような形をしている。それが次の瞬間には、手を組んだまま両腕をぐっと前に突き出して、両肘をくっつけるように動くのだ。そして声帯はほとんど両腕の後ろに隠れて見えなくなる。(* 注1)
こうして声帯を覆い隠してしまうと、声帯から出た音の流れが阻害されるので、声量も声質も損われる。この動きは、正統的な発声を追求する上では邪魔者でしかない。本来なら最初に挙げたウィキペディアの図のように、声帯全体が障害物なく見えるような形で発声するのが筋だろう。
では、日本人が発声しようとするとなぜ「披裂喉頭蓋ひだ」が出張ってきて邪魔するのだろうか。
ここからは前回の仮説の続きになる(仮説の内容については前回や前々回を参照してほしい)。
日本人の多くは、声帯を鼻腔弁でコントロールする術をよく知らないので、声を出す際にはのどで操作しようとする。ところが声帯につながる神経は、いくらのどを操作しようとしても動いてくれない。鼻腔弁のあたりに声帯のコントロールセンターがあることに気づかない限り、うまくいくはずがないのだ。それでもなんとかのどで声を出そうと模索した結果、のどへの指令に比較的反応しやすい「披裂喉頭蓋ひだ」を動かす術を見つけ出したのではないだろうか。
この部分を閉じると声帯もこれに引きずられて曲がりなりに閉じるので、ここさえ操れば声が出せるかのように自分では感じるのかもしれない。そのバイオフィードバックが次第に強化されていったのだろう、と僕は想像している。実際は声帯そのものをコントロールしているのではなく、「披裂喉頭蓋ひだ」を介した間接的な操作の色合いが濃い。そしてついには、日本語の五十音の発音を構成する要素として「披裂喉頭蓋ひだ」を使うことが当然視されるようになった。カナ縛りが日本語発声法と同化してきた背景には、おそらく何かこのような事情があったのに違いない。
「披裂喉頭蓋ひだ」の動きを見ればわかるように、この部分を閉じた状態は声帯を模したような形に見えなくもない。のどで声帯を操作しているかのような感覚が生まれるのは、この相似性にも起因しているのかもしれない。ところが実際は、「披裂喉頭蓋ひだ」を操作すると声帯が覆い隠されてしまい、声帯本来の機能を阻害するだけなのである。この誤解に気づけば、のどで声を操作しようとすることがいかに無意味で有害かがわかるはずだ(少なくとも声楽的にはね)。
要するに、日本人がのどを使ってコントロールしていると思っている部分は実は声帯ではなくて、「披裂喉頭蓋ひだ」という「声帯もどき」なのではないか。
僕たちがふだん声帯をコントロールしているつもりでのどに力を入れているのは、実は似て非なる「披裂喉頭蓋ひだ」を出動させているだけなのだろう。この部分は、本来であれば何もしないでおくべきなのだ。それこそが正しい発声への近道となる。声楽で「のどに力を入れるな」「のどで発声するのではない」と口をすっぱくして言われる理由も、まさにそこにある。
声帯のコントロールは鼻腔弁で行い、のどでは何もコントロールしないのが正解なのだ。少なくとも声楽や英語の世界ではそうである。
のどで何かやるとすれば、今まで僕たちがのどでコントロールしていた「披裂喉頭蓋ひだ」を、おとなしく引っ込めたままにすることぐらいだろう。これは「のどで声を出す」という意識が残っていては絶対にできない。「声はのどで出すのではない」と自分に強く何度も言い聞かせて、はじめて可能になるのである。日本人にとってカナ縛りはきわめて支配力が強いので、「『のど発声』はクセ声だ」と自己暗示をかけ続けなければ、その呪縛は容易には解けないだろう。
カナ縛りを解いてのど声を退治するには、ほっておくとすぐ出張ってくる「披裂喉頭蓋ひだ」を檻に戻してやる必要がある。日本人の大半は、この檻の蓋を開け放したままなのだ。野獣の檻を封印し、声を声帯からストレートに口や鼻に向かわせることができれば、声楽や英語の発声課題はもう8割方解決したようなものだ。