声帯の上に天幕かひさしのように張り出して声を遮るひだ(披裂喉頭蓋ひだ)については、前回ビデオその他で紹介した。もうお分かりのとおり、この「声帯もどき」こそがまさに正しい発声の大敵なのである。ところが困ったことに、日本語を話すときにはこの声帯もどきをせり出させることが必須であるかのように思われている。「はっきり日本語を発音すること」=「声帯もどきを出動させること」、という誤った先入観が、大多数の日本人の無意識領域に根強く定着してしまっているのだ、と僕は見ている。
実は、声帯もどきを動員しなくても日本語をはっきり発音することは可能なのだが、幼少期に覚えて使い慣れた声帯もどき発声(のど発声)から脱却することは、マインドコントロールを解くことと同じで、かなり困難をきわめると覚悟したほうがいい。逆に、そうした覚悟さえあれば、必ず脱却できるのである。(のど発声のマインドコントロールにかかっている人は、ここまで読んだ時点ですでに思考をストップし、新情報をブロックするモードに入っているかもしれない。自分だけは絶対オレオレ詐欺にかからない、と思い込んだまま息子を名乗る誰かに数百万円を振り込んでしまうお年寄りみたいにならないよう、ぜひオープンマインドで…というか自分の独善を疑う気持ちを忘れずに…発声を見つめ直してみてほしい。)
それにしても、声帯の上に声帯もどきのひだが突然出てきて膜を張るさまは、何度見てもびっくりする。何よりその変わり身の速さが面白い。いったいどこからこの膜が出てくるのかと皆さんも不思議に思うのではないだろうか。
この様子を見ていて、あるものを思い出した。ゴクラクチョウの1種が、求愛ダンスで羽根を広げてみせるシーンだ。
ゴクラクチョウの仲間には、ほかにも求愛時にいろいろと面白い変身をやってみせるものがあるらしい。本来は飛ぶためにある翼を、この鳥たちは求愛の儀式用に変化させていったのだ、という説明が同シリーズの別のビデオでなされている。
考えてみると僕たち日本人もゴクラクチョウと同じように、特定の器官(声帯の上部のひだ)を本来の目的とは違う用途に使うよう進化させてきたのかもしれない。もしかしたら、声帯をそうやって覆い隠すようにして出す声が日本人の異性に好まれるので、求愛のために声帯もどきやのど声を発達させたのだろうか?
ま、それはさておくとして、声帯をひさしで覆ってしまう日本的なのど発声は、英語やクラシック声楽の観点からは悪癖とみなしうる。だから、できればそうでない発声も身に付けておいて損はないはずである。少なくとも、そうしたほうが「声の文化」に対する理解ははるかに深まるに違いない。
日本語をしゃべるとき、おそらくほとんどの人は無意識にこの声帯もどき(披裂喉頭蓋ひだ)をパッとせり出させて、声帯の上にひさしを作っている。少なくとも僕は、これまでの観察や体験を通じてそう確信するに至った。で、とりあえずこの仮説に基づき、発声を改善する方法を考えてみた。具体的にやったのは、声帯にひさしをかけないよう訓練することである。
いろんな角度からこれを実践してみたが、結果はきわめて良好のようだ。参加しているコーラスでも声の伸びがずいぶんよくなってきたし、英語朗読でもかなりサウンドに手応えが感じられる。たぶん僕自身、無意識のうちに声帯にひさしをかけていた部分があったのだろう。それをすっきり取り払おうとすることで、より自分本来のナチュラルな発声に近づいたのではないかと思う。まだまだ改善の余地はあるが、前に比べて一歩前進したと思うと素直にうれしい。
僕の試してみた工夫を簡単に説明しておこう。
前回述べたとおり、のどで何かしようとしないことは大前提だ。のどを意識的に操作しようとすると、かえって声帯もどきがでしゃばる結果になるからである。
しかし、「何もしない」だけという消極的なアプローチでは、ブレークスルーは得にくい。そこでもう少し積極的な工夫が必要となる。
で、こう考えてみた。
もし僕が想像するとおり鼻腔弁が声帯を模したような形になっていて、声帯のコントロールセンターとしてのどではなく鼻腔の奥あたりで機能するとしたら、「声帯もどきのコントロールセンター」はそのさらに奥の、高さとしては鼻腔弁よりやや上のあたりにあるように意識されるのではないか、と。つまり、両コントロールセンターの位置関係は、実際の声帯と声帯もどきの位置関係と同じだと仮定するのである。
声帯もどきをせり出させる動きは、のどを狭める動きと連動しているように思う。しかし、逆にこれを積極的に引っ込めたままにしておく動作は、のどをリラックスさせるだけでは十分にコントロールできない(この結論に至るまでにはずいぶん試行錯誤を重ねた)。だとすれば、声帯もどき格納用の別のコントロールセンターがあってもおかしくない。そして、声帯と鼻腔弁の相似性を思い起こせば、声帯もどき格納用のコントロールセンターは第二の声帯(鼻腔弁)の後ろ上方にある、と考えるのが自然であろう。
こうして実験の目標が定まった。まず鼻腔弁の後ろ上方(両耳の間かそのやや後ろの後頭部付近だろうか)に、これを水平に囲む弓なりないし馬蹄形の物体があると想像してみる。これが、声帯もどき(披裂喉頭蓋ひだ)の格納されている状態を意識に投影したものだと考えてほしい(鼻腔弁が声帯を意識に投影した虚像であるのと同じ図式だ)。
便宜上、この声帯もどきの虚像を「鼻腔弁テント」と呼ぶことにする。もしこのテントが全開して張り出すと、鼻腔弁の上部をほぼ完全に覆う形になる。今やろうとしているのは、このテントを常時引っ込めたままにしておくことである。これによって、実際の声帯もどきも連動して引っ込んだままになるのではないか、というのが基本的な考え方だ。
さて、次に声を出してみるのだが、ここからはもっぱら鼻腔弁と鼻腔弁テントのほうだけを意識するようにし、声帯や声帯もどきからは意識を逸らす(要するにのどを意識しない、ということだ)。
鼻腔弁の左右の膜が中央で合わさって声を作る部分は、なるべくきれいに前後に伸びる細い直線を形づくるよう意識する。そして、鼻腔弁の左右の膜はできるだけ広く左右にストレッチさせるよう意識しながら声を出す。ここまでは今まで僕がやってきたとおりだ。
そこに、新しい動作を付け加えてみる。つまり、鼻腔弁テントを後ろに引っ込めて馬蹄形に格納し、その形を保つことだ。そして声を出すときにはあたかも弓を引くように、この馬蹄形をさらに後ろに広げるようにイメージしてみる。
こうすると、鼻腔弁の上部の空間には何も邪魔するものがなくなる。開閉式ドームの天井を開放したような状態だ。あるいは、それ以上にドームの天井を広げる力を加えるような感じである。
このコントロールがうまくいくと、実際の声帯の側でもそれと呼応した動きが起きる。つまり、声帯もどきはまったく出動しなくなり、声帯の振動が遮られることなくストレートに上って出て行くのだ。
そして、体感的には鼻腔弁がしっかりと鳴るし、鼻腔弁テントは引っ込んだままになって、響きが頭全体を満たすように感じられる。特に後頭部の付近(馬蹄形の奥の内側)に、かつて未体験の強烈な響きが鳴り渡る。歌声ならばこの響きこそが真のフォルテだ。この異次元の響きを体験したら、さらにこれを育てていろんな母音・子音と組み合わせ、強弱自在に使いこなせるよう工夫を重ねるとよい。それが次なる目標だ。
僕はこの実験を重ねてみて、まさにブレークスルー的な声の変化が起きることを実感した。皆さんにもぜひお勧めしたい。
おそらく、鼻腔弁をしっかりならすことと、鼻腔弁テントを後方に格納し続けること、この2点が正しい発声の2大要素なのではないかと思う。日本語のカナ縛り発声(のど発声)は、その両方の点で理想的な発声とは大きくかけ離れているのである。
くり返しいうが、意識をのどではなく鼻腔や後頭部のほうに置いて間接的に声帯と声帯もどきをコントロールすることが、正しい発声への近道だ。「のど」は意識からかき消してしまうことが本当に大切なのである。