今回は今年最後の書き込みになるので、ちょっとこの1年の進展を振り返っておこう。
大きな収穫が2つあった。
1つめは、「鼻腔弁」という概念を提唱したことだ。反回神経の配線が異常な遠回りをしているせいで、僕たちの声帯の位置感覚にはずれが生じているのではないか、という仮説を立てたことはすでに何度も述べてきたとおりである。僕はこの仮説をさらに発展させ、声帯が体感的にはのどよりずっと上にあるかのように意識すれば声帯をよりよくコントロールできるのではないか、と考えた。そして、いろいろ実験してみると、鼻腔内に声帯があると意識した場合にいちばんよい結果が出たので、この体感的な声帯イメージを「鼻腔弁」と名付けた。
声楽で「頭声」と呼ばれるものも、実はこの声帯位置覚のずれの産物で、声帯の位置が頭の中にあるかのように意識しながら歌えば声帯をよりよくコントロールできる、という経験則から来たものだと考えられる。ただ一般には、「頭声」というと「のどで出した声を頭に響かせること」だと誤解されている。事実多くのボイストレーナーは単に「響きを頭に集めろ」などとしか言わないので、教わる側は「頭声」の真の意味が理解できず、まずのどで声を作ってから操作しようとしてしまう。この教え方では、のど声の悪癖がなかなかとれないのだ。むしろ、声帯は鼻腔内にある、と割り切ってそこからスタートしたほうがはるかに良い結果が生まれる。のどは発声と無関係、と思うぐらいでちょうどいのだ。
あとは、鼻腔弁のより正確な位置、形、サイズ、傾斜、息の流れる方向、といった詳細を詰めていく作業が残されている。これまでにある程度その道筋は示してきたが、さらにイメージを絞り込むべくいろいろ試していきたい。さらに検証を続けて、より実効性の高い発声モデルの確立を目指そうと思っている。
2つめは、日本人の声をのど声にしてしまう「声帯もどき」の存在をつきとめたことだ。詳しくは「のど発声の正体を見た!」という過去ログを見てほしいが、声帯の真上を覆い隠すように別の膜がせり出してきて、声帯に弱音器をつけたようになってしまう現象がビデオで確認できた。この膜(披裂喉頭蓋ひだ)を張り出させずに引っ込めておくことが、素直に声を出すための急所といえるだろう。ところが日本人の多くは、この声帯もどきを使って振動させるほどいい声が出るかのように錯覚してしいる。だからのど声の人が多いのである。
僕は日本人アナウンサーの声に興味があってよく耳をそばだてているが、特に男性アナウンサーの場合、最近は声帯をよく鳴らす技術を身につけた人が増えてきたものの、同時に声帯もどきも必要以上にビンビン鳴らすアナウンサー/ナレーターが散見されるようになった。日本人にはこの声帯もどきの響きがいい声と受け取られるせいだと思うが、僕にはちょっと耳障りで気になる。
おそらく、声帯をよく振動させることと、声帯もどきを強く振動させることは、両立できなくはないのだろう。というか、声帯もどきを出動させたまま声帯をしっかり鳴らすことも実は不可能ではない。
鼻腔弁をうまくコントロールして出す省エネでオーセンティックな声は、基本的に声帯もどきフリーの素直な力強い響きで、声楽に応用しても即戦力になる。しかしこの声にあえて声帯もどきをプラスすることも、技術的には可能だ。日本人はそういうちょっと無理のかかった響きを好む傾向があるせいで、なかなか声帯もどきの呪縛からは逃れられないようだ。
ただ、英語に関していうと、そうした声は許容範囲内ではあってもスタンダードではない、と僕は思う。声帯もどきを使った声は結局のど声の延長でしかなく、一見響いているようでも実はストレスのかかった無理な響きになっている。この声帯もどきを解放する訓練をしておいたほうが、後々絶対に役に立つ。声帯もどきはいつでも簡単に出動できるが、これを格納しておくという基本技術はなかなか後からは身につかないからだ。英語をのどで発声しようとする人は、声帯もどきを使うのでビリビリした声になりやすい。大きな声を出そうとすると特にこの傾向は顕著になる。だが、このビリビリしたのどの響きを「いい声」だなどと勘違いしないほうがいい。いったんそう思い込んだが最後、のど声からは脱却できなくなってしまうのだ。
さて、来年はどんなアイデアが実を結ぶだろうか。すでにいくつかイメージができていて実験を進めているが、どう発展するか今から楽しみだ。